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鍼はプラセボか 現場からの提言
命門会 会長 片倉武雄
代替医療のトリック TRICK OR TREATMENT(サイモン・シン&エツァート・エルンスト著 新潮社)には、鍼、ホメオパシー、カイロプラクティック、ハーブを題材にして論を展開している。その効果は全体としては、否定的もしくは有害としている。
第2章 鍼の真実では、鍼の起源、体系、過去の取り扱われ方、実験・調査の歴史などを紹介している。各研究者の実験結果、WHO報告では、おおむね鍼の効果に肯定的な結論が出ている。 WHOの報告に対して、≪科学的根拠に基づく医療≫として信頼を得ているコクラン共同計画によるレビューよると、過去の臨床試験を精査した結果、「鍼の有効性については確かなことは何もいえない。」としている。
著者はWHO報告を間違いとして、「以前から行われてきたずさんな臨床試験結果をとりあげたのと、中国の発表バイアスがかかったあまりにも良すぎる結果を考慮に入れたこと。」と論述している。 さらに一番進んだ最も質の高い科学的な方法として著者自身・エルンストのグループが行った試験と、信頼の足る試験としてドイツの多くの患者数を含む≪メガ・トライアル≫を紹介している。盲検法として患者を治療群と対照群とに分けて以下の試験を行った。
エルンストの試験
- 鍼治療群 経穴とされる箇所を決定(取穴という)して、一般的に鍼治療師が行っている1cm以上の深さで刺す。
- 対照群 偽鍼として伸縮式の鍼を考案使用し、多少の痛みを与えて刺さったかのように見せかける。という方法である。
ドイツの≪メガ・トライアル≫の試験
被験者群を三つに分け、1、何もしない群。2、経穴とされる箇所に鍼を打つ。3、偽鍼として浅く鍼を打つグループと経穴をわざと外して打つグループに分けた。
結果は両試験とも「本物の鍼と偽鍼のグループでは、ほとんど改善の差がない。」というものだ。その結果、筆者は「鍼灸はプラセボにすぎない可能性がきわめて高い。」という結論にいたっている。はたしてこの臨床試験方法が本当に正しいのか、検討してみる。
1、鍼治療師の熟練度と経穴の位置と深さの関係
@まず、経穴の位置であるが、各個人により、またはその時の状態に応じて、微妙に変化する。本来取穴は、熟練された治療者の手の感覚にたよるべきものである。日本では教科書的、解剖学的取穴は、あくまでも参考ていどの目安である。
それに対してこれらの試験では、多分に教科書的な取穴ではないだろうか。
A次に鍼を刺す深さである。どのくらい鍼を皮下に入れるのかは、あくまでも治療者の診断や手ごたえで決めるものである。取穴、鍼を皮膚に刺す技術、深く入れる操作、などは、熟練したものと未熟なものでは雲泥の差である。それを一様に1cm以上、以下などとするのは論外である。素人の鍼である。それでも効果は多少あるが、熟練した治療師のものより著しく低くなる。
とすると、鍼治療群は効果の劣る鍼治療で結果を得た、ということになる。
2、伸縮式鍼の実物は、まったく刺さないのか
本著で針治療を行っている写真を紹介しているが、中国鍼である。中国鍼は日本の鍼に比べ太く、皮膚に刺すときも日本の鍼を使用した場合よりも痛い。中国鍼を刺すときと同じような痛みを与えるとしたら、僅かでも皮膚に入る。
偽鍼の実物を見てみないと分からないが、少し痛みを与えるようだ。であるならば鍼が皮膚に入ることになる。臨床の現場にいるものならば誰でも経験することだが、鍼が少しでも皮膚に刺さればある程度の効果を得ることが出来る。感覚が敏感な患者には、あえてごく浅く刺す。これで十分に効果が出る。深く刺すと、症状が悪化することがあるからだ。もし感覚が敏感な被験者がいたとしたら、エルンストのいう偽鍼で高得点をマークしたことになる。
とすると、対照群はある程度効き目がある偽鍼で結果を得た、ということになる。
3、試験方法の詳細
結論に導く段では、メガ・トライアルとエルンストの試験の結果が混ぜ合わせてあり、
よく読まないとどちらの試験がどうなのか取り違えやすい。
また、コクラン・レビューやメガ・トライアルの報告は、かなり大がかりに行われたことが記載されているが、エルンストの試験では、その詳細が一切書かれていない。一般に行われている鍼の写真は掲載されているが、肝腎の伸縮式鍼は説明だけある。
この試験が本章の一番重要で、多くの紙面を割くところではないか。科学論文の命ともいえる、試験道具、総数N、評価基準、処理方法、有意差などをもっと整理して示すべきである。
とすると、エルンストの試験は本著の記載を見るかぎり、いささか情報が足りず結果を判断するのには不適である、ということになる。
4、発表バイアスの問題
コクラン・レビューでは、中国は発表バイアスがかかっているとして試験結果を除外したようだ。確かにバイアスがかかりやすい国ではあるが、欧米に比べ習熟度の高い鍼治療師が多く、高い得点が出るのも見逃してはいけない。いわば玉石混交の状態である。
エルンストはコクラン・レビューの影響を受けているのは間違いなく、「鍼の有効性については確かなことは何もいえない。」というバイアスがかかったままで試験を行った。これでは果たして公正なジャッジが出来るであろうか。
もし、熟練度の高い鍼治療師が治療群に針を刺した場合は、はっきりした結果が出るであろう。経穴の位置がずれたり、鍼を刺す深さが異なると効き目がかなり落ちる。 初学者でもたまたま治療の適切な鍼の深さ取穴にあたることがある。この場合は効果が出るが、それ以外ではかなり落ちる。いわば結果は治療家の腕が問題になってくる。治療群の効果が低い鍼、対照群の効く鍼の結果を比較すれば、その有意差は少なくなるのは当然である。
ふたつの試験はエルンストの言うほど「科学的に質の高い試験。」であったろうか。今まで述べたように、鍼治療師の熟練度を見落としている。
鍼治療師の熟練度、あまり効かない鍼の治療群、ある程度効く偽鍼の対照群、著者自身のバイアスなどが改良されないかぎり、いささか「科学的に質の低い試験。」と言わざるをえない。これでは正確なデータが得られるはずがない。不正確なデータでは、どのような高度な処理が行われたといえども、その結果は意味をなさないというのが統計学の常識である。
以上のことを踏まえて、エルンストの論に対して、三つの実例を挙げて問いかける。
1、小児疾患
乳幼児の夜啼き・疳の虫に、一般的には小児鍼という刺さない特殊な鍼で全身を撫でるが、私の場合にはまず「ちりけの灸」を行う。1歳以下の乳児ならばひとつか多くてふたつすえれば充分で、夜啼き疳の虫ならば1回でその効果が確認できる。
その「ちりけの灸」とは、小児の身柱(第三胸椎下にある経穴)に糸状灸(モグサを糸のように細くひねったもの)をすえる方法である。身柱は第三胸椎下に取るが、実際には頚を後ろに反らせて、胸椎の一番陥凹したところに取る。この場合一椎くらい上下することは、まれではない。そこがウイークポイントであるから、治療点として良いのである。その主治は、感冒・喘息・下痢・腹痛・夜泣き・夜尿・ひきつけ・蕁麻疹・発育不全・etcなど他方面にわたり、体の変調に広範囲に対応できる。だが、その効果を最も発揮するのが、小学校就学前後までで、それから徐々に低下していき、成人になるとせいぜい呼吸器系の病症に使うかどうか、といったところである。
身柱には、いろいろな方法をこころみた。温熱の点刺激がよく、直接灸が一番である。私の場合は鍼の尖を熱して浅く即刺即抜をすることがある。これは、軽く刺すか刺さない程度の浅い鍼である。
一歳以下の乳児の施術には、母親に抱かせて背中を出しせいぜい10秒くらいで終わってしまう。 乳児は、鍼や灸を見ることはなく痛みや熱さはほとんどない。
まず、第一の問いかけである。鍼を浅く打つ、かつ本来の経穴より一椎ずれたところに打つということは、エルンストの言う偽鍼である。それで効果が出ているのはなぜか。また、先入見のまったくない一歳以下の乳児に、プラセボということがあるであろうか。
2、ミャンマーでの鍼治療
ミャンマーで日本の鍼を教えることになったのは、2001年7月からである。パラメディカル・サイエンス大学の理学療法(PT)科教授のキンミョウラ女史は、筑波大学で医学博士号を取得した。その関係で日本の鍼灸指圧には強い関心があり、知人を介し私が代表を務める団体『命門会』に依頼があった。
初めのうちはPT科の学生に教えていた。それがさらに、同科やさらにヤンゴン中央病院でも鍼を教えることになった。患者も治療しながらの講義である。
とはいうものの当初は鍼に対してかなりの抵抗があった。ある要人の夫人の体調が思わしくなかったとき、いまだ未熟と思われる中医師が鍼治療を施したところ、余計に具合が悪くなったとのことで、鍼の評判はかなり悪かった。その様な偏見の中、鍼灸指導を続けていたところ、その効果に驚きうわさがうわさを呼び、医師、軍関係者、保健省役人、はてには保健省副大臣とその夫人まで患者として治療に訪れた。大いに鍼灸の面目躍如を果たしたものである。疑惑をもたれながら活動を続けられたのは、キンミョウラ教授の尽力といえる。その後今でも年に1、2度ミャンマーに行き指導を続けている。
さて、ここで第二の問いかけをする。鍼に対して逆のバイアスがかかった悪感情の中、それを覆したということである。これは果たして筆者の言うところのプラセボであろうか。
また要人夫人の例をみるように、未熟な者が鍼治療を行って症状が悪化したが、鍼治療がプラセボだとしたら改善するのではないだろうか。
3、トリカブト中毒
数年前、富山大学の漢方研究サークルと金沢大学の薬学部の院生が集まり、合同合宿をしたときのことである。テーマは附子(トリカブトの塊根)と黄耆の修治(加工)である。私はオブザーバーとして参加していた。突然附子を扱っていたグループが騒がしくなり、私が呼ばれた。学生の一人の左前腕部が真っ赤になり、かなりの熱感と痛みを覚えていた。トリカブトにかぶれたものと思われる。急いで、持ち合わせの鍼を特に症状の激しい経絡上の解毒や清熱作用が強い井穴(指先の爪の横にある経穴)に軽く刺したとたんに、鮮血が滴り落ちてきた。かなりの量でティッシュ5枚くらいは鮮血に染まった。学生に様子を聞くと「気持ちいい。」と答えて、みるみる赤みが取れてきた。症状が落ち着いてきたのでその日は右手を温めないように指示した。
翌日、左の患部を診ると母子球にポツンと何かに刺さった跡があり、そこだけ直径1センチくらい赤みが残っていた。トリカブトの枝がトゲ状になり学生の左手に刺さったようである。皮下のごく浅い部分に刺さったようである。これがもっと深かったら、とても鍼などで対応できるものではなく大変なことになっていた。改めてトリカブトの毒の恐ろしさを痛感した事件であった。
第三の質問である。トリカブトは、自然界においてフグ毒に次ぐ毒の強さである。軽いとは言え、トリカブト中毒にプラセボが効くであろうか。私は、とても効くとは思えない。また、鍼の効果がプラセボだけだとしたらどの経穴に刺しても効果があるはずである。鍼も僅かに刺した程度である。「これは瀉血療法の変法ではないか。」と問われるかもしれない。本著第一章では瀉血は無効であると断じているが、これにも異を唱えるものである。
本著付録―代替医療便覧 のなかで伝統中国学が取り扱われているが、著者自身の見識不足を強く感じる。
著者は執筆にあたり、テーマを意識して発表バイアスがかかっていとものと思える。本来ある臨床の姿から一部だけを切り取り、それも悪例だけを取りざたすやり方が、公平かつ科学的といえるであろうか。
最後に著者にお願いしたいことがある。鍼治療の技術レベルを≪科学的に質の高い方法≫で、熟練度の高い治療師よる試験を望む。
※本文は、『伝承と医学』の掲載原稿(片倉自身)を会報用に修正加筆したものある。
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